2005.08.30.RW | JR東海−東海道本線 ”石部トンネル” の知られざる生い立ちとは? |
※お知らせ 08月16日 本編を更新、写真ページを追加しました・・ 直行されるにはこちらからどうぞ・・ | ||
古い街道 見て歩き! とばかりに あちらこちら歩き回っていたら・・・ 懐かしいトンネルに巡り合った! かって東海道本線の静岡−焼津間にあった、2つのトンネルのお話です! その昔!”磯浜トンネル” ”石部トンネル”と呼んでいた あのトンネル! |
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筆者はかって静岡市民・・ ここは活動圏内で見慣れていたが、昔からどうにも解けないトンネルの謎があったのを思い出した・・ この際・・ 謎解きしよっか! と軽い気持ちで始めたものの・・ 四苦八苦の悪戦苦闘、これはその顛末紀です! |
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場所は こちら 現在の :JR東海:東海道本線のこの位置です、地図上では1本の線ですが、上下で別々2本あります。 | ||
本編の「坑門名」は記述の都合上、筆者が地名を加えて勝手に付けた呼称(例えば:小浜地区の坑門=小浜坑門)で正規名称ではないので、ご注意を。 |
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旧国鉄時代の昔・・ 東海道本線:静岡-焼津駅の間に2つのトンネルがありました、「磯浜トンネル」(970m)と「石部トンネル」(910m) これが.. 本編の主役です。 :筆者の独断で、上り路線の起点を《焼津から静岡向き》、おのぼりさん向き方向?でお話を・・ ≫焼津駅を出た上りの汽車は、東へ向かい、瀬戸川の橋を渡ってしばらく先の、小浜坑門からトンネルに入ります・・ これが1つ目の 「磯浜トンネル」です。 「磯浜トンネル」を出ると、当時は東海の絶景! と呼ばれた大崩海岸の景色を見ながら山際を数百m進んで、再びトンネルに入ります・・ これが2つ目の「石部トンネル」です、暗いトンネルの中の所々に海が見える「明り取り窓」があったと聞きました・・ なぜか記憶がある! 石部トンネルを出ると、静岡市・・ 今の用宗海岸端の石部(せきべ)と言う地区を経由して、かなり先の安部川の鉄橋を渡ると程なく静岡駅 へ到着です。 (この当時、まだ用宗駅は開業していません・・ もちろん安倍川駅も!) ※実は トンネル竣工当時の関連写真をあちこちと探し回ったのですが残念ながら、ズバリ写真は入手できませんでした・・ :かろうじて『焼津市史』から、下記の関連写真 4枚を入手出来ました! |
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明治21年(1888)9/12月 誕生です! |
東海道本線「静岡-浜松」間の開業に合わせて明治21年09月に「石部トンネル」 12月に「磯浜トンネル」が誕生した! 海岸線ぎりぎりに、急峻な山が迫るこの地区、トンネルルートの選択も・・ 掘削工事自体も相当な難工事だったと思われます? |
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「旧磯浜トンネル」(現:石部トンネル)焼津側(神戸側)の小浜坑門です 現在のお姿です!上と重複しますが、なにせ主役ですから、ご容赦願います!蒸気機関車の煙で黒く すすけた坑門の姿は明治22年の竣工当時とさほど変わっていないと、、地元小浜の長老殿に伺いました.. 汽車は焼津からここ「磯浜トンネル」へ進入、ここから大崩の海岸線を走って「石部トンネル」をくぐリ抜け その 先、石部から静岡駅へ至るルート・・ 磯浜/石部、両トンネルの中間、大崩海岸の焼津側と静岡側に 2つの坑門が相対していました。 旧磯浜/石部トンネルで、幸いにも大きな改修を受けず、竣工当時の面影を最も残しているのが、この小浜 坑門といえます、 |
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明治22年(1889)07月 開業です! |
残った静岡-浜松/米原-長浜間が開業し、東海道本線は晴れて全通へ・・ 両トンネルも稼動開始です・・ どんな人々?がどんな目的で何処へ向かったのか、、興味あるところですね・・ タイムスリップでもして、傍らで見たいところ・・ ですが! |
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明治42年(1909)11月 (用宗駅が開業しました)! |
石部トンネル東京側の直近に「用宗(もちむね)」駅が開業、安部川以西の静岡市民には好都合の新駅だった 事でしょう! 後の日本坂トンネルとの距離が近い事もあって、駅の北側は両トンネルを巡って付け替え、路線変更の 修羅場になります。 |
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明治44年(1911) 複線になった! |
両トンネルとも複線化される、なお上り/下り線のどちらが先に掘削されたトンネルかは不明? 素人考えでは山側かな? 線路は元々大崩海岸のすぐそばを通っていたのですが・・ 隣があいていたのかな? いや無理して山側を掘ったのかな? |
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「旧磯浜トンネル」静岡側(東京側)の磯浜坑門です 上の写真とちょうど反対側の位置です、奥に見る坑門は両側に山が迫っているせいか上下線が同じ場所に 並べない? 少しずれている様です・・ 写真の背景の坑門が「磯浜トンネル」の静岡側です、 明治-平成と時代が離れていますが 先の小浜坑門とで「磯浜トンネル」1本分! (線路脇の山裾は石部トンネル坑門まで連続数百mほど・・ 石部トンネルの静岡側山裾よりずっと長い)
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「写真集 『やきつべ』 より:大崩海岸を走る蒸気機関車 :明治末期 萩原昌明氏蔵(写真ハガキ 『靜岡名勝 大崩のトンネル』より」 | |||||
「旧石部トンネル」焼津側(神戸側)磯浜坑門です 現在のお姿です!崩落、廃棄され、荒れ放題・・ なんともおいたわし! しかし、原型をとどめる!と言いうなら、ここの上り線側の坑門はほとんど当時のままの姿で残っています、 写真の下り線側坑門も、ひどく崩壊してはいるものの、竣工当時の面影は色濃く残っている、それにしても 何と言う哀れなお姿でしょう! 後述しますが、昭和23年のアイオン台風で崩壊が始りその後、昭和34年頃に廃棄されたまま何の保護も されず58年!荒れるに任せた状態、、を曝しています・・ 画像は下り線側の坑門部分です、 竣工から数えて118年!何という悲哀か? |
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「旧石部トンネル」(現:石部トンネル)静岡側(東京側)石部坑門です 坑門付近の崩落の防御!ポータルを設けて補強されて・・ 石積み赤レンガ仕立て?の面影はなく、 僅かに沿道の石垣に雰囲気が残っている程度・・ かっては上記の旧磯浜トンネル小浜坑門の様な 石積の丹精な坑門でしたが・・ 竣工当時とは全く変っいる! (山裾は坑門直後で線路脇を離れて連続せず、上記磯浜トンネル静岡側 よりずっと短い)
見習いたいものですね! |
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昭和15年(1940)09月 夢の弾丸列車? |
「弾丸列車計画」(広軌幹線鉄道計画)!! あのSL・・ D51の生みの親:機関車設計の天才「島秀雄氏」の・・ まずは東京発・・ 北京行き! 一度位はお聞きになった事がおありでは? えっ!眠っていた記憶・・ しっかり呼び覚ましてしまいましたか? |
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昭和16年(1941)08月 波乱の始まり・・ |
「弾丸列車計画」の工事が開始され、工期のかかる「日本坂トンネル」(2.2km)他の掘削工事から着手された 同時に着手されたのは :新丹那トンネル(8.0km) :新東山トンネル(1.9km)いずれも、 後の東海道新幹線へ引き継されれることになるのですが! |
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昭和19年(1944)10月 路線敷が道路に? |
行き場がなくなった「日本坂トンネル」へ「東海道本線」を通す事になった・・・ こうなると今度は「磯浜/石部トンネル」が、空きトンネルになってしまう.. でもあの地は有数の沿岸交通の要所! 放置無用、そこで両トンネル区間の線路敷を利用して一般道路に転用! なんと線路敷が”道路”になった! |
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余談ですが、この頃に地元の私鉄 :静岡鉄道により空いた石部/磯浜トンネルを活用する計画が持ち上がり静岡 から焼津経由大井川までの 路線が計画・・申請され昭和25年には認可が下りた・・ 地元の利もあって、この計画の実現性が高かったが、おりしもこの頃に後述の 「東海道新幹線計画」が持ち上り道路として使用中の石部/磯浜トンネルを「出戻りで」東海道本線が使う事になった為に実現しなかった。 |
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線路敷道路の東の端・・ 「旧石部トンネル」 これが旧「石部トンネル」焼津(磯浜)側の坑門、そして線路敷道路・・ 貴重な写真です、なんとボンネットバスが走ってる! 当時、ここを私鉄(静岡鉄道)の路線バスが通っていたはずだが、という情報も得ていたのですが、 正にその通りです! 大崩海岸沿いのこの位置に 線路敷に使い得る充分な、平地があった事を示す貴重な写真です! なんと・・ 背景に石部の洞門(昭和18年竣工・後に崩落で押し潰された)も写っている・・ これこそ捜し求めた1枚です。 2つ並んだ坑門・・ 後に崩落する事になる、海側坑門もまだ健在!しかも杭柵で通行が遮断されている のが見てとれる! さらに、、山側のトンネル坑門だけに「わだち」があって! ”上り線側だけ”で往来していた事も分る・・ これなら後の海側坑門の崩壊後も、一時的な往来は続けられたに違いない! ここは現在、瓦礫の海岸に変貌!している.. |
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「写真集 『やきつべ』 より :旧線路敷を走るバス :昭和30年頃:石田勇氏撮影」 (やきつべには :昭和30年頃とあるが昭和23年に坑門が崩壊!しているので.. この写真はそれ以前の撮影?) |
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幻の!「路線敷道路」の西の端です・・この写真は磯浜トンネルの上から、石部トンネル方面を見たもの の様ですが、線路敷はかなり広いく長い平地だった・・ 比較的なだらかな山腹と畑、海岸と護岸堤など まさに当時の線路敷!.. 決定的写真だ! なんと山の中腹に民家と、脇を通る県道(静岡-川崎線 :現在の国道150号線)”川崎”=”榛原”)が はっきり写っている この県道は土砂崩れで不通になることが多かったという、後ろに県道に続く石部の洞門が、遠くに日本平 も写っている・・ 写真のお宅は当時は割烹旅館を・・ 現在は同じ位置で、レストラン&喫茶店を営んでおられます・・ 後に.. そうとは知らずにまったく偶然に訪問して・・ お会いし、・・びっくり! 謎が一気に解ける事になる!とはつゆ知らず・・ 写真の下方向の突き当たりが下記の「磯浜トンネル」 静岡側坑門の位置になります、しかし今は埋め立てられて永眠中? |
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「写真集 『やきつべ』 より :鉄道敷の道路:昭和29年7月 鎌田茂氏蔵」 | |||
線路敷の西の端・・ 「旧磯浜トンネル」 おっと?場違いな線路時代、、視点を変えての再登場・・ どうぞご勘弁願います 磯浜トンネルの磯浜側(静岡側)坑門付近の線路敷です・・ 写真の左の奥、汽車の最後尾のほうに・・
貴重中の貴重な1枚です。 が、残念ながら現在はもう、ここを見ることは出来ませんから、 これはまさに 「幻の磯浜トンネル」!&懐かしの蒸気機関車・・ 坑門間近くのこのあたりは、両側に山が迫っていますが、数百m続く右手の山側向きの、この視線では 右よりもなだらかな左手の山影は写真の視界に入らなかったようですね 写真の右手方向に、 石部トンネルの焼津側の坑門が待っています・・ この線路敷も上記同様、左崖の大崩落で埋没、 更に海岸浸食によって現在は瓦礫の海岸に変貌!(後述写真を参照) |
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「写真集 『やきつべ』 より :大崩海岸を走る蒸気機関車 :明治末期 萩原昌明氏蔵(写真ハガキ 『靜岡名勝 大崩のトンネル』 より」 |
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昭和23年(1948)09月 坑門が崩落した! |
来襲の「アイオン台風」で 一般道路として使用中の「石部トンネルの大崩海岸側の海側坑門(下り線)」が崩壊! もっとも道路転用当初から海側(下り側)坑門は使用していなかったが、以来そのまま捨て置かれる事にもなった! |
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これは!・・ 証拠写真? 昭和23年9月15日のアイオン台風で崩壊、 傾いた石部トンネル焼津側下り線、坑門です! 割れて滑り落ちてはいるが、この時点では 海岸までは転落してはいません! この状態で一旦は 落ち着いた様です、 また坑門の手前あたりに杭柵があるのが見えます、崩壊前の黒い杭柵(枕木?)と崩壊後の新しい杭柵が 見えます! これは崩壊前からここを通行止めにしてあった証拠ですね? 撮影年月は不明? 石垣のへき開面が、雨や海水で洗われていない点から見て・・ 崩壊直後の撮影と 思われますが? ここが第1の謎の発端です、この崩落でによって.. 線路敷道路が通行不能になったか否か?が問題ですが? やっぱり..上り線側は壊れずに残った?通行不能なら、後にも、小生は通れなかったはず.. この話は後で! |
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「写真集 『やきつべ』 より :崩落した旧東海道本線の :旧石部トンネル坑門 撮影年不明 八木秀也氏蔵」 (崩落は下り線側坑門のみ) | |||||
上と同じ場所・・ 現在の姿です!その後の台風などの大波によって、足元をすくわれて転がり落ちて 更に2つに割れた海側の坑門! 崩壊から崩落までの経緯が良く分りますね! 廃棄されて・・ もはや無用の坑門は 何が起きてもNewsの種にされず・・ 気が付いたらこの姿です! なんとも無残なお姿ですね、おいたわしい限りです・・ と言うよりも・・ なにか、腹立たしいですね! このしうち!・・ 崩落した坑門部分は、赤レンガのパイプ状になっています、背後にもう1段強固な石垣のバッフル? が作られています、 この石垣はしっかりと下の岩盤?まで達していて、この場所の地盤がらみの建設の難しさを物語るのかも しれません? :波打ち際までの距離にも注目! すぐ傍まで波が来ているのが分かりますか? 距離は十数mしかありません! |
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「現地!崩落廃棄された :旧東海道本線 :旧石部トンネル下り線坑門」 | |||||
昭和34年(1957)04月 返り咲き! |
「東海道新幹線計画」がスタート、幻の弾丸列車計画の夢を果たすべく、戦時中の半強制買収済みの用地を 引継いだ! 専用トンネルは「東海道本線」で現役の「日本坂トンネル」を転用する事を決定! こうして石部/磯浜トンネルは再び鉄道トンネルとして表舞台へ戻る事になったが・・・! |
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昭和37年(1962) 大改修完了!200 |
「磯浜/石部」トンネルの改修が完成、1本もののトンネルに生まれ変わった! が、同時に大崩海岸を走る路線部と4つの坑門は廃棄!されることに・・ |
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昭和39年(1964)10月 新幹線開業! |
東海道新幹線が開業!計画通り「日本坂トンネル」を通る・・ 静岡側へ新しく2本のトンネルも新設された、、 東海本道本線は・・ 新?「石部トンネル」へ戻っていった・・ |
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焼津側(神戸側) 野秋坑門です、 初めから踏み切りゼロ想定していた様で、焼津市史の建設当時の航空写真でも、すでに高架(盛土)路線 になっている。 静岡側と同様、東海道本線の「石部トンネル小浜坑門」のすぐ北側に位置しています、コンクリート製の ポータルから覗くと 本来の蒲鉾型の大きな坑門が見えます、断面は円に近い? 初めから弾丸列車用! 高速対応かな? 単線2本でなく上下複線で1本のトンネルなので・ 両方から同時に200Kmh越への高速で進入すると、 気圧の変化が大きすぎて.. 耳が? いやいや、そんなのは素人の余計な心配か・・ |
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静岡側(東京側) 石部坑門です、 「東海道本線の用宗駅」のすぐ北側を通っています、日本坂と言う通り、古代の東海道の難所だった 「日本坂峠」の南側 に位置する、低いが急峻な山が連なる狭い地域に設置されている・・ すぐ南隣100m前後を東海道本線や石部トンネルが通っていて、これなら東海道本線への路線の切り替え も容易だったであろう・・ 東側、静岡側に「用宗トンネル 石部トンネル(東海道本線のと同名)」の2本の短い新設トンネルを 従えています! |
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(現地!現在の東海道新幹線「日本坂トンネル」石部/野秋坑門) |
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現在の磯浜海岸です! 見てくださいこのありさま・・ 上の:写真にある昔の地形など、、想像できないほどの変わりようです・・ |
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大崩海岸と言えば、石部-磯浜-小浜の海岸を指しますが・・ 「大崩」!と言うだけあって、この辺り 頻繁に大小の崩落を繰り返し・・ ご覧の通り! 崖の上の国道150号線が静岡寄りで(右端の写真の様に)海上橋へ逃したも大崩落で石部の2つの洞門が再起不能?に破壊されたからです.. 線路敷き道路のあった平地は、切り立った山肌の度重なる崩落、崖崩れによって、、ついに埋まってしまって・・ その上、海岸浸食にも侵され 当時とは全く異なる地形になってしまった・・ (地元の長老のお話) 線路敷きは・・ 山肌の崩落で、すべて埋没、平地はない!山側の防壁も海側の護岸堤も海岸に押し出される形で滑落、 大小の瓦礫となって海岸に散乱しています! 案外のどかだった・・ この地の海岸沿いの風情は、見る影も無く・・ 現在はなんとも情けない瓦礫の海岸に変貌してしまっっている・・ |
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磯浜坑門付近の瓦礫の海岸部 | かろうじて残る線路敷の山腹擁壁 | 線路敷跡と石部トンネル崩落坑門 | 石部トンネル崩落坑門と石部海上橋 | ||
磯浜トンネル:石部坑門はこの辺り? ここが、旧磯浜トンネルの坑門があったあたりの空間です・・ここのどこかに磯浜トンネルの坑門が2つ・・埋まっているのですが、どのあたりかな? 海岸から駆け上がりで、国道150号線まで約300m位?巾も約200m位の傾斜地になっていて結構広い空間です 手前に見える線路で出来た柵の向こう側に、線路敷きがあって、汽車が走っていた・・ 右手の突き当たりあたりに坑門があったはずなのですが! やっぱり土の中! かなり厚く埋め立てられている、、 なんとしても見たかった「磯浜坑門」なのに、、無造作に埋め立てられてしまって、行方知れずの憂き目に逢ってたとは・・ 常にどかかが崩壊する、しょうもない大崩、、崩壊に次ぐ崩壊・・! それでも残った、磯浜トンネル坑門付近の僅かな傾斜地も、なぜか・・ ? 民間へ払い下げ? 関東の某社が観光拠点を目指して埋め立て整地!しかしその後のバブルOffで頓挫..そのまま放棄、現在は産業廃棄物処理施設になっています。 |
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磯浜海岸から見るとこの奥の辺り! | 海岸の護岸堤付近は整地:蜜柑畑? | 柵の向こう側が線路敷だった位置! | 右手の突き当たりで坑門が永眠? | ||
実はここ、絶好の釣りポイント!筆者も崩壊以前に何回か行った事がある、釣り仲間の間では「航空母艦」と呼ぶ、平らな部分が残っていたが 全く無くなった! あの当時なら磯浜坑門は健在だったかも? 実は二十数年ぶりに訪ねて仰天してしまったのですが・・ 下記にも写真がありますが、 それはそれはひどい有様で・・ |
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仮にもここ・・ かって日本の大動脈! このトンネルを、いくつの人生、どれだけの物資が往来したことか、 数え切れまい! 文明開化の日本にどれほどの恩恵をもたらしたことか・・ 計り知れません! それなのに、こんなぞんざいな仕打ちで良いのでしょうか??部外者ですが・・無性に腹が立ってしまいました! 今の日本人って(自分を含めて)こういう人や物への感謝の心・・何か忘れていると思うのですが・・じゃ、何が出来るの?と言われると困るけど? |
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残った下り線の坑門を下から見上げると、 これまた哀れ、なんともいたわしく無残なこと言葉もない!! 最初の崩壊からさほど進展せず、赤レンガ積みのへきかい 面エッジも写真で、見較べる限り当時のままの様に見える。 これが・・ かっては東西の大動脈!文明開化のあの時代をになった、 東海道本線のトンネルのなれの果てとは・・ いくつの人生、 どれだけの貨物が、ここを行きかったことだろうか?・・ あまりにも残酷なお話じゃありませんか?・・勿体無い事です! |
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崩落した石部坑門の右の半分です、 左: 正面 2つに割れているが表面は綺麗? 海水で洗濯かな? 大きめの石垣とレンガ積みはとても巧妙で研究の価値がありそうだ! 右: 背面側、無残に壊れた赤レンガが哀れです、左手がトンネルの 上部になりま すがここも波に洗われて綺麗だ、上側の部分の構造が良く判ります、 ここもレンガ積みの妙が光ります!しかし 実物を見る限り当時のままの 様に見える・・・ |
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トンネルの壁面と思われるレンガブロックが、こんな大きな塊単位で 転がっている、 蒸気機関車の煙のせいだろうか今でもすすが鮮明に残っている、 とはいってもすすの粉じゃなくて、焼け焦げて塗料の様に焼きついて いる? これは意外だった・・ 積み方は単純のようで、コーナー部分がとても巧妙! これはこれで研究の価値がありそう! 赤レンガに「ヨコスカ精錬所」の刻印があると言うので、周りの瓦礫のなか も捜してみたが、、、とうとう発見できなかった! |
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左: 静岡方面国道150号線海上橋方向、ここまで来るには波うち際と テトラポットの 上を 5〜600mほどアスレチックかな? 満潮になると帰り道を波が洗って 足場がなくなるかな?・・ かなり危ないです、 御覧のとおり・・ 周囲は絶え間なく新たな崩壊が続いているので、 上を通る国道150号線と山腹の崩壊が心配になってきます 右: 焼津方面・・ こちらは崩壊した線路敷護岸提の残骸が散乱して すざましい様相です、約800m先に磯浜トンネルの坑門のあった位置が 見える場所があるのですが何も見つけることが出来なくてなくて・・ 拍子抜けでした! |
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左: ここが磯浜トンネルの坑門のあった位置の海岸端なのです、 テトラポットの向う の護岸堤の向こうの崖の上を見上げると、本来なら坑門が見えるはず! なのですが 残念ながらすでに、埋めたてられてしまって、お姿は全く見えません! 右: じゃぁ.. と崖の上から見たのですが・・こちらから見ても行方不明? これが未だに解けていない2つ目の謎です、 埋まっているであろう場所?は突き止めたものの、なにせ実物を見て いないので・・ 推測での物言いはいかがかと・・ |
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左: かろうじて残っている線路敷の護岸提です、、ここ以外はすべて 海岸まで崩落 している、これが石部坑門から、西の磯浜坑門の方に続いていたはず なのですが? しかも・・ 向うの山側には旧線路敷跡の、平地のスペースが、全く 残ってないとは! 先に 崖の崩落で線路敷が埋没、後に護岸提が海岸へ押し出された様に 見えるけど その後に激しい海岸侵食? じゃないのかなー・・そうなると 線路敷は磯浜側坑門付近以外には残っていない事になるが、 その可能性は・・ 極めて高そうだった! 右: 国道150号線海上橋脇から石部洞門と現地を遠望したもの! 画面中央部の比較的平らな部分の手前が 石部坑門崩落現場です。 |
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なお大崩界隈の画像は、こちらのページへ追加しました! 重複多数?ですが少し細かく・・ |
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(磯浜/石部トンネルは 中央〜下部です) | (磯浜/石部トンネルは 中央〜上部です) | (新たな石部トンネルは 右側上部です) | |
1) 明治22年当時 (明治22年版地図) まさに開通当時の磯浜/石部トンネルまだ単線 が、坑門付近のロケーションが分かります、 もちろん 用宗駅はまだ無い、安倍川駅はって論外! なお本件に無関係ですが海岸沿い(浜辺) を 通る「静浜街道」が珍しいですね・・浜松まで 後の国道150号線の前身でしょうか?後に 海岸部分の侵食が進んで、通行不能になって、 ついに山を登った..?と聞いています・・ そういえば現150号は崖の上を通ってる! |
2) 昭和19年以降のバス路線(19年版?) 線路敷道路時代バス路線、 水色(青でなく)加筆線 石部/磯浜トンネルを、路線バスが通っていた 事を示しています、昭和34年頃まで運行して いた様です 小浜を訪ねての長老にお聞きした情報では 路線バスが通ってたと云う.. さっそく地元鉄道会社で社史の記事等を 探して頂くも記述が見つからず、 替りにご厚意で頂戴した地図です、問題の 東海道本線は日本坂隋道を通っています! |
3) 昭和63年当時 (昭和63年版地図) 昭和37年に磯浜/石部トンネルが改修されて 1本のトンネルになってからのもの、 すでに150号線の同門の崩落対策で新たな 海上橋も完成.. 東海道新幹線も開通し 北側には東名高速道路も開通し.. (まだ上下2本計4車線の頃) それぞれの日本坂トンネルを通過しています 少し前の物ですが現在とさほど変っていません |
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謎解き前の下調べでは、石部トンネルの下り線の1つは崩落、上り線のもう1つは現存するが、残る磯浜の2つは現地を捜しみても、何処にも ないのです・・ このあたりから呪縛にはまって・・ 謎解きに奔走するはめに・・ 結局、謎は解けたのですが、現場や実物を見ることはかなわなかった・・ |
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第1の謎: 実は筆者は一般道路になったここを通過した事があるのですが! その時期は石部坑門は崩落していたはず! なぜ通れたのか? あれは幻だったのか?(詳細は後述) つまり、石部坑門が崩落した後に、磯浜トンネルと石部トンネルを 車で 通リ抜けられたのは何故か? 道路の崩壊などで通行禁止になっては いなかったのか? |
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第2の謎: 磯浜トンネルの坑門は、どうなったのか? 位置は何処か? 坑門部分は廃棄/廃線にされたが、現物は、現在も実在するのか? これも、 今だ解けない謎です・・ おそらく埋まっているであろう、確証を得たし、場所も突き止めたが、なにせ実物をまだ見ていないので! あくまで自分の脚と目で実物を 確かめてから報告をしたいと思います.. 推測や浅智恵で断言したくはないので! |
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本当は、この部分がこのお話の始まりであります・・ なんか不思議だなー! だけで、謎に突き当たっていました! なんとしても これを解明したいと・・ あちこち調べ回る事に・・ しかし、四苦八苦するも・・ 有力な情報に巡り合う事は出来ませんでしたが! そこそこの謎解きは出来たと思っていますが? |
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この場所の情報がもっと欲しい、何処へ行けば手に入るだろう? 手当たりしだいの情報集めを試みました!・・ しかし何処を捜しても、 答えはもちろん、たいした情報は得られませんでした! |
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「謎解きのきっかけ」は・・ この件であれこれと調べて回っている内に焼津市の「市史編さん室」殿に出会った事でした。 | |
ある日、焼津市の「歴史民俗資料館」へ問い合わせをしたら・・・ 耳寄りな情報が寄せられました・・・ お尋ねのトンネルの資料はうちにはない のですが、 谷津市役所の「市史編さん室」へ尋ねたら何か分るかもしれませんよ! えっ「市史編さん室」って?・・ さっそく焼津市のホームページから・・ 事業内容と連絡先を見つけて電話をしました。 |
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当然なががら、そのものずばり!を のぞむべくもなく、市史編さん委員の方が資料を調べて下さるという事でわらをもつかみ? お願いして、調査結果を待つ事にしました、 |
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数日後・・ 市史編さん委員の方が教えてくれたのが、「市史写真集」『やきつべ』でした、 さっそく焼津図書館へ出かけて『やきつべ』を 見つけて・・ むさぼり読んだ事はいうまでもありません・・ あったあった! 次々に有力情報が見つかって・・ 謎は一気に解け始めた! |
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その1) 貴重な写真を発見した! :焼津市「市制五十周年記念写真集」『やきつべ』(市史編さん室編さん/発行)の中で:貴重な写真を 発見! 磯浜トンネルを出て疾走する蒸気機関車!:崩壊前の石部トンネル2つの坑門!:磯浜側から見た両トンネル間の風景! :崩壊後の石部、海側坑門! こうして出会ったのが、上の「4枚の写真」です・・ 編さん室殿と所蔵者殿の許可をいただいて、掲載させていただきしました。 これが決定的な探索資料になりました! |
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その2) 重要人物にお会いした! 先に発見した「4枚の写真」を頼りに現地を歩き回って、願ってもない人物に遭遇! なんとなんと! 当時から現地にお住いの方にお会い 出来た・・ もちろん、当時の詳しいお話を・・・ ふんだんに伺う事が出来ました! なんと、磯浜トンネル坑門は埋めたてられたと・・ これが決定打になりました! |
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実は昔の写真を入手したら・・ どうしてもこの眼で見たくて・・ 旧磯浜−石部トンネルの空間を! 居てもたってもいられずに、現地に出かけて・・切り立った大崩海岸の崖の斜面を這い回って、あの路線敷へ降りる道を探し回ったのですが・・ 結局、見つからず、汗だくで疲れはてておりよく見つけた 崖の上の喫茶店へ逃げ込んで・・ ご主人に訳を話して、上記の古い写真を 見てもらったら・・ |
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ご主人に海岸へ降りる獣道を教わってり、恐る恐る現地へ入って・・またまたびっくり!唖然としてしばし静観!その場に立ち尽くしてしまった! 石部トンネルの坑門だけでなく、線路や道路が通っていた線路敷の平地までが、がけ崩れ?の土砂 で埋め尽くされ! そのうえに海岸が侵食されて、海岸沿いに綺麗に続いていた・・護岸堤の石垣の残骸が、浜辺に散乱していました・・・ なんと無残な! しかし・・・ 残念ながら期待したもう1つの謎! 「磯浜トンネルの坑門」を見る事はかないませんでした・・・!! |
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その昔1度だけ(遠い記憶で)車で・・ 焼津から静岡へ通り抜けています! 記憶では、昭和28年前後だったと思いますが・・車で通り抜けた 場面が鮮明に 残っていて、頭から離れなったのです、 幼い頃の原風景か・・ あるいは、今はなき親父への回想かもしれませんが・・ 確か菊川へお墓参りに行った帰り道でした・・ 車は父親の運転する初代ダットサン、 焼津側の小浜地区から、左に東海道本線の小高い 線路敷きを見ながら東進、小浜集落の中央あたりにある「磯浜トンネル」小浜坑門から進入した、上下線のどっちか?・・ は不明! |
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トンネルの中は証明もなく、真っ暗闇で、気味が悪く、壁面は掘りっぱなしのごつごつした岩肌が続いていました、天井に蒸気機関車のすすが 付いていたか?記憶はない・・ 路面は無舗装のでこぼこ道で水溜りだらけだった・・ なんせボロ車で床から水が跳ね上がってきた (ウソみたいな本当です)事で覚えている、 トンネルとトンネルの切れ目で、一度外に出て「海と空」!を見たはずなのだが、この部分の記憶はぼやけて・・ はっきり覚えていません! なんたって、7〜10歳くらいのハナたれ小僧でしたから・・ 出てきたのは間違いなく、石部トンネル静岡側の石部坑門だった! ほかに同乗者はいなかった? |
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その後、高校生だった頃・・ 汽車で通学をしていたので東海道本線の「日本坂トンネル」は毎日通っていました・・ もちろん磯浜/石部トンネルは、昭和19年以降廃線(線路敷道路)になっていて、18年生まれの自分は汽車では通れない! 昭和39年に 主要部分は復活するが・・ もう「磯浜トンネル」じゃなかった! |
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こうなると、自分が磯浜トンネルを通れたのは ここが線路敷き道路になっていた、昭和19年〜37年の間という事になるのですが・・ 本当に通れたのかな? 昭和23年のアイオン台風による崩落で道路が閉鎖された? されなかった? 通れた ?通れない? ここの答が得られないまま・・ 記憶と疑問 が交錯していたなんとしても解き明かしたい謎となって・・ ひっかったまま 長らく忘れていたのですが、 今回の一連の街道散策で石部トンネルに出会ったとたんに思いだしました・・ 今度こそ答えを引き出したい一心で・・ 調べ回ってみた・・ |
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実はここの悲惨な状況は、うすうす知っていて 気になっていたのですが、訪れる機会もなく時間が過ぎてしましました・・ それが今回ひょんな ことから本格的に調べてみる事になって、思わぬショッキングな惨状を目の当たりにして・・ 悲しい限り、なんとも悲惨なお姿です! |
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なお、上段<(写真集『やきつべ』より:xxx>の表記がある4枚の写真は、焼津市発行 :市史写真集 『やきつべ』 からの転載です、従って 著作権等の諸権利は各々の所蔵者殿に帰属し、かつ『やきつべ』の編さん/発行元である焼津市 「市史編さん室」殿の管理下にあります・・ :当然ながら、無断使用を厳禁致します。 当然ながら、当ページでは「市史編さん室」殿、並びに、各々の写真の「所蔵者」殿の承諾をいただいて、これらの写真を掲載しています。 |
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最後になって恐縮ですが、焼津市「市史編さん室」の皆様に、お忙しい中で、数々の貴重な情報を頂きました・・ この場を借りて、 こころより、御礼申し上げます、ご協力をありがとうございました。 |
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また、「市史編さん室」編さん/発行による焼津市「市制五十周年記念写真集」『やきつべ』を本編の有力な 参考文献として活用させて頂けた事 に感謝致します。 |
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本編は、出来る限り正確に記述しているつもりですが、学術書ではありませんので、思わぬ誤記や間違い等も含まれていると思いますが、どうか ご容赦願います。 |
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ここはどうなったの? こんなのあるよ! 等のご質問、ご案内、ご要望、ご感想等、是非トップページの「森の掲示板」に、書き込んで頂けると 大変ありがたいです。 |
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このお話の原点になった :古代の街道 :諸々のトンネルなどのお話は・・こちら にあります。 かなりの重複がありますが・・ |
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