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▼影武者さま:
詳細にご覧いただき、、また注意深いご指摘をありがとうございます、実は小生も迷い
ましたが、以下の根拠であの様に記述しました。
本文の記述の通り、写真は焼津市制50周年記念写真集「やきつべ」からの転載です
(もちろん許可を頂いて転載しています)
実は転載していませんが、写真集36Pの原本写真の下に、以下の記述がありました、
(原文のまま転記します)
▲大崩海岸を走る蒸気機関車
当時は用宗から焼津までのトンネルが二本に分かれていた。途中で海岸に出て再び
トンネルへ。上り列車。
ここで言う「大崩海岸」とは、石部から小浜の辺りを指すもの と思われますので、ここは
石部-磯浜の海岸部分と認識、途中で=(磯浜トンネルから)海岸に出て「再びトンネル
へ」の トンネルとは、石部トンネルを指すものと理解して” 磯浜トンネルを出て・・ ”と
記述しました。
ご指摘通り、現在の石部静岡側坑門に似ていますが、ここは距離が短く山と海岸の間が
とても狭く坑門付近の地形は磯浜側の方がずっとなだらかで、海岸までのスペースも広い事から(当時も現在も)静岡側の石部坑門ではなく磯浜側の坑門・・ と判断しました、
確かに写真の注釈には磯浜海岸との記述はありません、よってあくまで推定の域を出ま
せん!以上が現在までの再確ですが、引き続き同種の写真を探査してみようと思います。
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