Page 18 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼次は・・パーレットだー! TAKA 04/1/20(火) 22:33 ┗さっそく素性調査です! TAKA 04/1/21(水) 19:01 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 次は・・パーレットだー! ■名前 : TAKA <takagi@ps.sakura.ne.jp> ■日付 : 04/1/20(火) 22:33 ■Web : http://taka-platz.s40.xrea.com/ -------------------------------------------------------------------------
3台目のベスト判機、あのパーレットがご到着・・・ まずレンズ・・ おっ!ついに待望の単玉が来たー!どう見てもメニスカスの2枚合わせ!! んっ?レンズ周囲に<Rokoh-sha Echo?>と刻印がある、シャッターは25to100,B・・「 Rokoh-sha」は言わずと知れた六櫻社!「Echo」はシャッターの名前のようだ。 レンズも六櫻社製? 単玉なのであのASAHIのOEM 「Optar」の可能性もあるのだが? 資料によれば Optarなら 75mm F6.3 ・・しかしこれはF8.0?だ・・VPKの様にフードで抑えているかも? 曇り・カビ・傷・バルサムはがれなし、綺麗なもんです、申し訳程度のフード(シェード)も付いている? 内部で10mmほど後退可能で固定ピント位置の調整が出来る。 絞りは 64/32/16/8・・までしっかり動作します、・・シャッターはB・1/25・1/50・1/100・・あれ?「T」がない・・ 一応全速作動するが開かなくなる事がある!(>_<) 要ベンジン浴か? 蛇腹に穴や破損なし、一部うまく畳まないプリーツがあるが、問題はなさそう、内も外も黒くて艶があってまだしっかりしている。 フイルム室はVPKより工夫されている、平面性保持?のためか裏蓋の内側に両脇に3mmΦ程のローラーを備え番号穴部分をくりぬいたフイルム押さえ板が入れてある、これは合理的で、かなり効果があると思う。 しかもこれがローラーごと取り外せるのは便利だ(今度の「元祖・覗きデジ撮り?」でもこれを外せば邪魔にならない)番外だけれど、、 (もっとも外せないとレンズ周りのメンテや焦点調整などが出来ないけど!) VPKにはない三脚穴があった!なんと縦・横別々に2箇所もある、横用は底面の端っこに、縦用はなんと蛇腹の左右のたすきを連結した金具になっている、 実はこれが案外がっちりしていて、たすきを含めて前板もがっちりと固定されびくともしない、VPKと部品構成がほぼ同じだが剛性が数段?高い! 例によって反射型のファインダーがあり像が写るががほとんど役に立たない、、針金ファインダーと補助レンズは欠品だー!、まあEOS de 覗き撮り?には不要なのですが、(^。^) 裏蓋に丸い穴部分がないので、EOSとの連結は裏蓋を外して、フォーカル面へ直接マウントを貼り付けるしか方法がなさそうそうだ? それにしてもなぜ赤窓が3つもあるのかな?? と、ざっと見た範囲ではまずまずの個体である、80年前のものにしては非常に綺麗な個体である、、大満足!(~o~) うーん、めっぽう気に入った・・とても重厚で丁寧な作りが好い! デジだけでなく・・ フイルムでも試写してみたいあれ逆かな?・・ とにかく魅力いっぱいの個体だ!、、 |
追加情報! 意外に少ないNET情報&手元書籍資料によれば、、 本機は1940年(昭和15年型)パーレット最終型!れっきとした「単玉」付きだ(^o^) (但し型こそ最終型だが、製造は在庫部品を結集して1947年頃まで続いたという?) レンズはアクロマチック メニスカス(いわゆる色消しレンズ)MA 75mm F8.0 この「MA」というのは自社製? 後のヘキサーの“プレリュード”らしい? その他に旭光学製のオプター75mm F6.3の明るいレンズ付きの型もあった。 この型の外観の大きな特徴は正面左上にあった「六櫻社のロゴ」が消えた事!だが、これは六櫻社から小西六写真工業への社名変更が近かった為の処置では、、と言わている、、 パーレットの主要な系譜は以下の通り、ところどころ年代に矛盾がある?が、参考までに。 1925年6月(大正14年)に発売された、先行して大ヒットのコダック社の「ベストポケット コダック」(VPK)と後に統合されてツアイスになるコンテッサネッテル社のピコレット・・両者の良いとこ取りがありあり! 以降1929年までは、外観は殆ど変わらなかった。 1931年(昭和6年型)までレンズはアメリカのウォーレンサックの単玉と複玉を装備した 機種があった。 またこの1931年(昭和6年型)に独特の接写レンズの付いたフレーム型の針金枠ファインダーが取り付けられた。 1932年(昭和7年型)に初めて自社製レンズ「ヘキサー」とペガサスシャッターを装備、単玉機のレンズは旭光学製OEMのオプター75mmF8であった。 この型から接写時に反射ファインダーに警告オレンジフィルターがかかるようになった。 1933年(昭和8年型)は「ペガサス」シャッターになり、正面に別名タイガーマスクと言われる独特の縞模様が入っていた。 1935年(昭和10年型)にはシャッターが「エコー」シャッターになった。 1937年(昭和12年型)には革張りの高級パーレット、ラットが発売され、 「ヘキサーレンズ」を装備している。 1940年(昭和15年型)は前面左上の「六桜社のロゴ」がなくなり、またパーレットの文字がプリントからプレートに変わった。 (パールなどの発売もありこの型が最終型となった) 戦後1946年〜47年にも発売されたが、このときは部品が足らず、いろいろな年代のパーツが使われている。 別種に青少年向け低価格版の「B・パーレット」と「高級パーレット」があった、後者のレンズは「ヘキサー」で前玉回転式でピント合わせが出来た!(オプター付きもあった) この「ヘキサー」は75mmF4.5の3群4枚のテッサータイプで、当時の国産最高級レンズであった。 素性が分ってきたら、、どうも世代が近い、、同級生ではないが、、型番では3年違い? 実際の製造時点では?おない年も?・・・いやーますます愛着がわく、、 なんとしても光を、取り戻さないと!!試写が楽しみで、、おっとその前にシャッターを直さなくっちゃ! それに背面が裏蓋式でVPKのように丸穴がないので、連結マウントの取付けが難しい! フォーカル面じか付けのバッフルマウントを作らねば、、 |