郷愁の写真機達
2002.10.10.UL 忘れ得ぬ 森の写真     
郷愁の写真機に魅せられて ≪2005.04月 追記(1)≫
 そう・・ 初めて写真機に出合ったのは・・ あれは昭和26〜7年?小学生の頃だったろうか? それまでは屋根の上の天文小僧(^^♪
  自作の大きな望遠鏡を抱えて..夜な夜な出没して、
ご近所の名物.. 不審小僧だった・・のだが..
  これこそ、後に写真機狂いに転身する? きざしだったかも・・
 
  “写真機”.. それは当然.. 親父の持ち物だったけれど・・ ある時は懇願!またある時はこっそりと.. 事実上ほとんど自分が使っていた!
  以来...今日まで、写真機とのかかわりは、つかず離れずではあるが.・・ 途切れることなく今日まで続いている(^^ゞ

 
それは“リコーフレックス”という二眼レフで、縦に並んだ2つの目玉が印象的!やや縦長の箱型で上から覗き込むビューファインダー
  が見易かった、ピント合わせは上下のレンズの周りに歯車が付いていて、指でぐりぐりまわしてレンズを繰り出して合わせる仕組み..

 そう安い望遠鏡の接眼レンズみたいだ、この仕組みがめっぽう面白い、後の日産自動車の新型セドリックの縦目4灯に通じていった?
  か、どうかはさだかでないが? とにかく夢中になった.. なけなしの小遣いはすべてフイルム1と印画紙代に消えた!

 外箱はブリキ製だが 子供の目にはとても重厚で魅力的だった・・ 気にもしなかったが 今風に言うなられっきとした“金属製 写真機”だ
  当時は“プラスチック”などという言葉はなく、非金属といえば..“セルロイドとベークライト” くらいしかなかったから・・
 中学校で熱血教師にめぐり合い 転機を迎えた! 悪さすると革のスリッパでほっぺたをひっぱたいたりもする(当時は当たり前)が!
  それでも写真熱爆発?! その教師の写真クラブに所属、、フィルム現像から紙焼付けまで・・ すべてを教わって.. 自分でやった(^^♪
  もちろん白黒フィルムで、ネオパンS? とか印画紙のシーガルとか月光とかの言葉が飛びかっていた・・
  近所の静岡駅構内に入りこんで.. 蒸気機関車を撮って、年賀状を作成したりして・・ 結構楽しんだもんだ(@^^)/~~~

 そうそう..
修学旅行にも持っていったっけ、友達の35mm判の“アルコ35”や流行りの6x6判二眼レフ“ワルツローラフレックス”
  (なんと.. あの時代に
ローライフレックスを持って来た奴がいた)
  写真部員は価値を知っていた?うらやましくて、うらやましくて・・ いつかは俺も手に入れるぞ! とひそかに決心したりして!!
  しかし・・ 昭和37年、東京の高校に転入する為に上京して、寮のある川崎市暮らしが始まった.. が、リコーフレックスは実家に残したまま
 (だって自分のじゃないし)なので、いつの間にか・・ 別れ別れになってしまった!
 おそらく奴は実家の神棚の下の押入で自分を待ち続けたに違いない!
 この頃は
コニカの初代一眼レフ:FTにうつつを抜かしていたから.. 今になって思えば.. リコーフレックスにはかわいそうな事をした(^^ゞ
 で・・ ここからは、当時の上位の道楽が台頭して来て・・ お話は派手に脱線!
  夢にまで見た
無線技術士になる為に上京したはずの田舎者・・ 初めは真面目に学業に、しかしオーディオ仲間と秋葉原と言う..
  恰好の棲家を見つけたのが運のつき、かって感染済みの
オーディオ道楽が、一気に爆発するはめになるのですが・・

 思うに
オーディオ熱って、写真機熱・・ と一脈通じるのではと? おのぼりさんはリコーフレックスを袖にして、もっぱらアンプやチューナー
  はもちろんレコードプレーヤーやテープレコーダー(もちろん3ヘッド・・12インチオープンリール)までも作ってしまう熱の入れよう・・!
 もちろん真空管の奴、それに 静岡の木工屋さんに作ってもらった巨大なスピーカーBOXに、パイオニアのユニットで、もっぱらクラシック
  にうつつを抜かしていた、今では当たり前の「HiFi-ステレオ」が出てきたのもこの頃であった、アンプとスピーカーをもう1系統増設した
  当然左右別々のアンバランス?.. 当時は自作派はこれが当たり前だったんですよ! 信じられない?

 その後、オーディオ病が進行して! 片っ端から自作した、3モーター3ヘッドオープンデッキ・・それに名士
「竹末数馬」氏設計や自家設計の
  パワーアンプ
「高城重樹」氏の設計思想に感化されて超重量級のターンテーブルを入手して・・

 NHK技研の払い下げ品、マスター盤カッターの多極シンクロナスモーターで”糸ドライブ”・・ はては
「加藤秀雄」氏設計の
  巨大な、倒立型のバックロードホーンを完成!(ご存知ですか?あの奇妙な格好を!).. 続いて糸吊りエッジのスピーカーユニットまでと・・
  本業はどこへやら せっせと作り続けた・・
 一方で今はなき“コーラルやパイオニア、三菱のダイアトーン、フォスターのFE”等の国産スピーカーユニットに飽き足らず・・
  こちらも洋物 グッドマンローサースペンドールワーフデールあたりで、ビバルディーなど 室内楽にうつつをぬかし、
  弦楽器の流れるような音粒の再生がポイントで・・ あーでもないこーでもないと連夜の談義が続いていて、
  出てくる音といえば ”シーシー・・シャリシャリ” と・・・やっていた?
 クラシックなら究極“タンノイ”のスピーカーが欲しかったけど..^_^;
 オーディオ病の経験のある方はご存知と思いますが、あれは恐怖の道楽!
  オルトフォンあたりのムービングコイル型 カートリッジを受けて イコライザーアンプ からプリアンプ、メインアンプまで、通しで自作して・・
  当然の要求スペックはこれだった!
   ターンテーブルをまわさず(ドライブモーターは回す)に盤面に針を落とし.. やおら音量をいっぱい上げて スピーカーに耳を押し付けて
  ブーンもスーも聞こえないシステム・・ これがマニアの定番の時代! (やってみてください 下手するとスピーカーがぶっ飛びますが!)

 これを作れない奴は仲間へ入れてもらえないばかりか相手にしてもらえなかった、もちろんアンプは真空管式だ、フィラメントは直流点火
  当然、全直流化超低内部抵抗化、当然・・固定バイアスのA級動作・・いま思っても、、それは恐ろしい道楽だった。

 その上、あろうことか連日講義サボって悪友と秋葉原通いが続く! いま思えば完璧に狂っていた?やがて・騒々しい奴だ!
  と棲家の管理人の怒りを買って.. 程なく部屋を追い出されて・・ 行く宛てを失う事になる!

 余談ですが、当時を代表するいわゆるオーデイオ界の先生方、上記の
大御所 御三家をご存知の方は・・
  多分.. 自作の経験豊富な相当な猛者殿!”本物のオーディオ狂”とお見受けし致します・・ がいかがでしょう?
  ここまでやんなきゃ.. いっぱしの講釈は云わせませんって!

 実は..小生.も先生方のお宅へお邪魔して直に聞かせて頂いたり..した事も
  最近よくある お金に任せて買い揃えの
“ぼんぼんマニア”にあらず!もしかしてご同輩!同じ道にはまったのでは??
  このあたり・・? ご同類にあられた方・・ できればメールなどいただければ談義が楽しくて嬉しいのですが〜!
 ところで、肝心の写真機は ニコンFが発表され 遅れてコニカの初代FT/FPなどが続々.. しかしとても買える値段ではなかった(>_<)
  アンプ代スピーカー代を回せば買えたのかもしれない、いや無理だ? ところがある日、友人の1人がニコマートの初代機を、
  もう1人の友人も コニカのFPを買い込んできた・・ さあ大変だ・・・ どうしよう?
  貧乏学生の身なのに、オーディオに写真機! 仕方なく、もう一つバイトを始めた、元々はオーディオ機器とレコードを買うために
  やっていたバイトなのだが、目的が変わっって来て、買い込むLPレコードの枚数もがくんと減ってしまった(T_T)
 結局 オーディオ病が重い私はすぐには対処できなかった・・ やむなく、発売直後の「コニカ オートS」を買い込んだ・・
  銀座の中古機のお店の存在に気が付いたのはそのあとの事だった! しかし中古といえども、たいそうな価格で結局のところ
  まだ手が届かなかった、、当分は
コニカオートSで・・・

 こうして、コニカオートSは私の
初代35mm機になった、後から思えば案外短命に終わる・・ 当て馬的な運命ではあったが!
  やたら重たいけれど何時も連れ歩いた、写りも良くてずいぶん活躍してくれた、忘れえぬ1台となった・・

 お気に入りは、当時まだ走りのCds外光式の露出計を内臓、非連動だけれども腹露出よりは正確だった、
リコーフレックスの様に
  ごろごろせずに持ち易く良く写る写真機でめっぽう気に入っていた。
<2005.04月 追記>
 とかやってるうちに、、ようやく卒業出来て、某無線通信器機の名門?の会社へ就職した ・・
  正確には、米国のあのコリンズやナショナルハリクラフターに対抗できる、、戦前からの日本屈指の通信機メーカーの老舗でもある!

 新米社員の仕事は、超短波(VHS)を使う内航船用、船舶無線機の周波数合わせであった でも.. 入社直後から即戦力!
  来る日も来る日も 今はなき
「デカトロン」(この計数放電管をご存知の方は是非BBSへ一報下さいね!)を使った最新カウンターや
  当時最新のベックマンバークレー社製のビーム偏向数値表示のカウンターを駆使してせっせとお仕事を、、

 ちょっと待って! こいつらと来たら怪物なんです、(前者の大きさはなんと1辺1mのサイコロ型、後者は縦だけ半分0.5mもあるやつ)
  真空管の数たるや..優に100本近く、そりゃそうだフリップフロップ1組に、双三極管(12AX7or12AT7等)を1本ずつ使っていたから・・
  発熱だって・・はんぱじゃない..下手なストーブも顔負けで、それはそれはそれは大変な代物でした!(^^)!

 今ではLCDが当たり前ですが、当時数字を直接表示できる
「ニキシー管」式カウンターが出てくるのはこの後ですね、
  もちろん
「7セグメントのLC/ED」なんて!ずっと・・・ずーっと・・・後のことですね、 同時に使うのはテクトロニクス社や富士通あたりの
  シンクロスコープ、、これまた真空管びっしりと100本弱、、もちろん背中にでっかい空冷ファンが回ってる!
  2台ともそばに置こうものなら.. とてもじゃないが熱くて暑くて、夏場の夜業はパンツいっちょうでお仕事?はさすがにできなかったけれど(^_^;)
 ありゃりゃ写真機の話は? どこへ行っちゃったのかって、そうそう、この時期はひたすら修行の身!で好きな写真機遊びも、
  禁欲ならぬ禁写?状態で朝から晩まで真面目に社業に邁進しておりましたよ・・

 この後、、社内でマミヤプレスを操る先輩を見つけてしまって、またまた写真機! に目覚めるのですが、
  それはまた後日にでものたまわせてくださいね?  <2005.04月 追記>
 一眼レフを! とにかく一眼レフを! 渇望していた、、 毎晩、友人の部屋で、ニコマートFTやコニカFTを見せつけられ・・
  おもむろにカシャリとレンズなどを外したり取っつけたり、、こんないじめが続くんだから、、どんなに写りが良くても、、
  コニカオートSじゃ役不足!RF機は馬鹿にされっぱなし・・ (冷静に考えればさほど血道をあげるもんでもないのに)
  すっかり意気消沈して、早くも買い替えを考える・・

 でも、じゃあ何を買いたいの? 
ニコンF? それともコニカのF系?、、ううっー、財布はって・・ はなからペッタンコだったしさ!?
 確か有楽町のカメラ店、ニコンハウス?だったかなー、角のお店だったけれど屋号を失念してしまった、、 入口にカウンターを兼ねた
  ショーケースがあって、高級そうな写真機が並んでいた、壁の方のショーケースにはライカやローライなど舶来写真機が並んでいた、
  であろう・・ というのもこの頃は
ライカやローライなど、興味もなく、知る由もなかったから・・

 持参したのは 例のコニカオートSだった、で、交換したのは、憧れの・・ そして初めての1眼レフ機は恋い焦がれた「キャノンFX」だった!


 この先が写真機の楽園と地獄の顛末になるのですが、今日はここまでで・・ご勘弁いただきます、続きは後日すこしずつ追記します、
  お暇なおりにでも しげしげと.. 見てやってください。
 昭和43年の事!ゆえあってFXを連れて静岡に帰る事になった・・
  当時は家業を手伝う事に無我夢中・・なんしろ技術職から販売業へ転入なので、しばし写真機道はお休み状態・・
  毎日パブリカPUに乗って営業&配達に明け暮れていました、、早くいっちょまえになんないと・・

  子育ても始まって「キャノンFX」の出番はますます増えてきた・・
  このころは他の新発売の写真機もUSEDもにはさっぱり目が向かなかった・・ここから何年間だろうか? 興味の的がくるくる変わって
  写真機遊びは開店休業状態だったかな・・ コンタックスのMT167が来るまでは

 と・・ここでまた一休み・・続きはまた!
 とにかく・・ 写真機! 理屈ぬきに大好きである!
  あの小さな体内に撮影という機能を埋め込んで、しっかり仕事をする事が頼もしい!
  適度な大きさも、重さも、何よりも精巧に作られた部品・・ 鈍い重厚な光沢も心地よい.. 滑らかな手触りも、
  まるで工芸品!のようにいとおしく・・小生にとって・・ かけがえのない逸品である。

  これぞ・・ 我が
やんちゃ道.. “からくり村”の旗頭であろう!?
 写真機なんて、撮れてなんぼ!と人は言う、でも自分は断じてそうは思わない! くたびれて動作しなくなっても決してその価値は
  失われないと・・
写真よりは・・”写真機”そのものが好き?である・・
  
道楽の向きや価値観にルールはない!まして道楽に理由が必要であろうはずはない!
   と・・ 思うから..過ってファミリーの為に大活躍・・ 今は疲れて壊れかけていてもお気に入りのあいつ達!
   ずーっと身近に置きたいと思っています。

 普段は除湿庫の中のお気に入り・・持ち出してなでたり覗き込んだりで・・ 時々、思い出したように、撮影に連れていく、写真は一枚ずつ
  それはそれは丁寧に撮る、まるで画家が絵を描くようにじっくりと、でも何枚も撮る事はなく、写真そのものよりは、
  厄介な操作を楽しむ様に、
 ”好きな物を好きな写真機で、楽しんで撮る!” 至福の時間が流れる.. これこれ.. これがいい!
  このためには、、
お気に入りの写真機達・・ いつまでも手元におきたい・・
なんだか.. 回顧録調になってきた? まだ先があるんだけど・・ まずはこのへんで! そのうち追記致しますね・・